名探偵シャーロック・ホームズは物語の中で、主に19世紀のイギリスで起きる数々の難事件を解決します。読者はその鮮やかな推理に夢中になりました。
しかし現実の世界はそう簡単にいきません。当時のロンドン市民を震え上がらせたいくつかの事件は、未解決のまま残されました。
その一つが「切り裂きジャック」です。今回はこの事件とホームズの時代について考えます。
1888年8月31日から11月9日までの2か月あまりの間に、ロンドン東部ホワイトチャペル地区を中心に5人の女性が次々に殺害されました。被害者は貧しい女性ばかりで、のどや腹を刃物で切られる残忍な手口が共通しており、同一人物の犯行とみられています。
2人目の犠牲者が9月8日に遺体で発見された後、ロンドンの通信社に手紙が届きました。要約すると、次のような内容でした。
「親愛なるボスへ。切り刻むのはやめない。私を捕まえることはできない。次は女性の耳を切って、警察に送る。切り裂きジャックより」
手紙の差出人は本当に犯人なのか。それともただのいたずらか。警察は判断に迷いました。しかしその後、新たに殺害された女性の耳が本当に切られていたため、この手紙が注目されます。こうして、差出人が名乗った「切り裂きジャック」の名前が定着します。
犯人は誰か。刃物を使う機会が多い医師、理髪師らが疑われました。しかし結局、逮捕に至らず「迷宮入り」してしまいました。
作者アーサー・コナン・ドイルも事件について発言しています。1894年、アメリカの記者のインタビューに対し、「ホームズならこう推理したはずだ」として、「ボス」などの表現がイギリスの英語の感じではないため、アメリカに滞在経験のある人物の可能性があると話しました。
未解決なので、この推理が当たっているかは分かりません。しかし当時のヨーロッパでは事件が起きるたびに、「ホームズが本当にいてくれたら」と思った人も多かったでしょう。
中にはホームズを「実在の人物だ」と思い込み、仕事を依頼する手紙を書く人もいました。私はイギリスの国立公文書館で、当時のロンドンの警察に寄せられた手紙を見たことがあります。ヨーロッパ各国の人々から届いた手紙には、「ホームズさんは今も生きていますか」「本当にいるのか教えてください」といった問い合わせが書かれていました。
いつの時代も凶悪な事件は起きます。だからこそ、人々は事件を解決してくれるヒーローを求めたのかもしれませんね。【篠田航一、写真も】=随時掲載します
毎日新聞のベルリン、カイロ、ロンドン支局長などを経て外信部長。探偵小説が好きで、2025年には「コナン・ドイル伝 ホームズよりも事件を呼ぶ男」(講談社現代新書)を出版。
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