阪神大震災(1995年1月)で妹の加藤はるかさん(当時11歳)を亡くした兵庫県神戸市の菊地いつかさん(46)が5月初め、石川県七尾市の認定こども園で、妹にちなんだ「はるかのひまわり」の種をまきました。集まった能登半島地震(2024年1月)の被災者には、「太陽に向かって咲くヒマワリを眺めれば、青空ってこんなにきれいだったんだな、と思える日がきっと来ます」と語りかけました。【中尾卓英】
31年前のあの日、はるかさんは全壊した神戸市東灘区の自宅の下敷きになって亡くなりました。生前、隣の家のオウムに与えていたヒマワリの種が発芽し、その年の夏に花を咲かせました。
その種はいつかさんをはじめ、はるかさんを知る人の手で花を咲かせ続け、今では全国の子どもが植える、心の復興のシンボルとなっています。
いつかさんが能登半島地震の被災地を訪れるのは初めてです。仮設住宅集会所では、被災したお年寄りら50人あまりに、阪神大震災から2~3年後の自身の体験を語りました。
残された家族3人の生活は一変しました。社交的だったお母さんは毎日泣き暮らすようになり、いつかさんは「生きていていいのかな」と苦しんだ経験を伝えました。
数年後、震災で子どもを亡くした遺族らと出会いました。交流する中で、「おじちゃんやおばちゃんたちが、じっと私の話を聴いてくれた。悲しいのは私だけじゃない、生きていてもいいんだ、と初めて思えた」と話しました。
この日の講演には、いつかさんの長女良さん(7)、夫の修さん(56)も同行しました。成長した良さんには、妹の面影を重ねることもあるといい、「母は、自分の命よりも大切な、子どもの命を守れなかったことを悔やんでいたんやなと、理解できるようになった」と話します。
人見知りの良さんは、「人前で話すのは10年ぶり」といういつかさんの姿を目に焼き付けていました。
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