(CNN) ジョージア(グルジア)のパンキシ渓谷を訪れようとすると、多くの場合、到着前から警告を受ける。たいていは、人里離れたこの地へ観光客を連れて行くことに不安を覚えるタクシー運転手の口からだ。
渓谷でゲストハウスを営むカトゥナ・マルゴシュビリ氏によれば、運転手たちは「なぜそこへ行くのか。何をしに行くのか。分からないが、安全ではないのではないか」と口にする。
欧州の東縁に近い旧ソ連の国、ジョージアのパンキシは、長らく観光よりもニュースの見出しによってその名が知られてきた。
2000年代初頭、ロシア政府による祖国への戦争から逃れたチェチェン人がこの渓谷を避難先とし、ロシアは、その一部が元戦闘員だったと主張した。
01年の米同時多発テロ後、米国はパンキシにアルカイダ工作員が存在すると主張し、その中にオサマ・ビンラディン容疑者が潜伏しているとの見方を示したが、いずれも立証されなかった。10年代には、過激派組織イラク・シリア・イスラム国(ISIS)が渓谷から数十人を勧誘したことで、汚名はさらに深まった。
だが、長く語られてきた評判とは異なる姿を、訪問者たちは見始めている。
23年に米国際開発局(USAID)が発表した報告書は、パンキシを「平和的」と評価した。パンキシ渓谷をオンラインで検索すると、イスラム過激主義についての報道ではなく、乗馬ツアーやフェルト制作のワークショップ、餃子に似た「ヒンカリ」作り教室などの情報が表示される。
米国務省はいまも国民に対し、この地域への渡航に注意を促しているが、それでも訪れる人は増えている。マルゴシュビリ氏は「ここ2~3年、宿泊客の80%が米国からの旅行者だった」と話す。
パンキシの観光はまだ新しく、国内の主要観光地と比べれば規模は小さい。しかし、宿泊施設が増え、ツアー会社が行程に組み込むようになったことで注目が集まり始めている。
ジョージアのツアー会社のガイド、カロリナ・ジグマノフスカ氏は2年前からパンキシへのツアーを企画している。
「ツアーを求める声があり、実施するようになった。ゲストハウスがいくつか開業したと聞いた後から、世間の注目が集まった」という。彼らには独自の共同体と文化があり、料理もジョージアの他地域とは少し違う。
住民の多くはキスト人で、19世紀にジョージアへ移住したチェチェン人やイングーシ人の子孫にあたる。彼らはジョージア語に加えてチェチェン語を話し、ロシア語を使うこともある。宗教はイスラム教のスーフィー派やスンニ派で、キリスト教正教会の信徒が多数を占めるジョージア全体とは対照的だ。
毎週金曜日、女性たちはドゥイシ村の古いモスク(礼拝所)に集まり、イスラム神秘主義スーフィズムに由来する宗教儀礼「ズィクル」を行う。円になって唱和や歌、拍手を重ね、次第にテンポを上げていく。女性がズィクルを行うのはパンキシだけで、訪問者は見学を申し込むこともできる。
パンキシは、登山者に人気の山岳地帯トゥシェティにも近いが、渓谷自体の観光はようやく形を成し始めた段階にある。過去10年、国外からの支援を受けた地域主導の取り組みにより、小規模な観光産業が一から築いてきた。
観光に取り組む動機は収入だけではない。マルゴシュビリ氏は「パンキシ渓谷観光開発協会」のメンバーだ。同協会は、地域のイメージを変えたいと願う女性グループによって18年に設立された。こうした努力は国際的にも注目され、20年には旅行ガイド「ロンリープラネット」がパンキシを掲載。同年、ジョージア政府観光局も公式サイトで地域の紹介を始めた。
地元住民の間では、失業がISISによる若者の勧誘が進んだ一因だったとの見方もある。そうした背景から、協会は観光を「地域で唯一の産業」と位置づける。しかし、観光業の先行きは不透明だ。USAIDの資金凍結や、ジョージア政府が海外資金の受け入れを制限する「外国代理人法」の導入により、開発事業は停滞している。
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