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兵庫県立舞子高校を卒業した山本奈緒さんは、1年間は予備校に通い、2007年に念願の神戸市消防局へ入庁しました。「やっと父ちゃんと同じ仕事に就けたな」。長田消防署や西消防署で消防査察(民間の建物の消火設備をチェックする業務)などを担当しました。
その後、消防局司令課にいたころ父と無線でやり取りすることがありました。呼び掛けに応える父の声を聞き「照れるけど何かうれしいな」と感じました。
14年に介護施設職員の男性と結婚し、16年に長女結衣さん、18年には次女望結さんが生まれました。
出産のための産休、育児休業を取りながら消防音楽隊に所属。フルートを担当し、家で練習しているときのことです。長女から「ママは演奏する人やったん?」と聞かれました。現場から離れており、もどかしさが募りました。
一度は夫に「子どもができたら火災現場での仕事は諦める」と伝えていました。しかし「私自身も父の背を見て育ってきたので、子どもに消防士の姿を見せたい」と思うようにもなっていました。夫に相談すると「言うと思った。やりたいようにやればいいよ」と応援してくれました。
一方、人生を先導してくれた父との別れは突然でした。17年1月22日、一人で自転車のロードバイクに乗り兵庫県姫路市を訪れた帰り、心筋梗塞で倒れ、61歳で亡くなりました。
救助の世界では有名だった雅文さん。「救助界のゴッド(神)」の異名を持っていました。兵庫県尼崎市で05年4月にあったJR福知山線脱線事故では事故翌日に現地に入り、混乱する現場を統率しました。偉大な父の死は「あまりに急で今も受け止められていません」。
22年4月には垂水消防署消防防災課に異動し、火災現場の最前線に立つようにりました。上司の石井敬一郎・消防司令補(60)は「いろいろと経験があり、よく気がつく」と評価します。垂水消防署の総員約150人のうち、平時から火災などの現場で活動する女性は3人。泊まり勤務は月10回あり、育児は夫や実家と協力し合っています。
昨年の夏のこと。火災現場でガスボンベが次々と爆発し、恐怖を感じました。各地で大きな地震がある度、「これが神戸で起きたら私は子どもを実家に預けて出勤するんや」と不安も感じます。一方で、今なら父が取った行動も理解できます。次女は小1で、阪神大震災当時の山本さんと同じ年齢です。子どもたちには「災害があって仕事に行っても、必ず帰ってくるからね」と伝えています。
長女は24年の七夕に「ママみたいな消防士さんになりたい」と願いを書きました。世代を超えて思いはつながっています。震災から31年となる17日には、毎年している地震の話を子どもたちにするつもりです。「怖い時、つらい時は声に出していいよ」。悲しい思いはさせないと決めています。【大西岳彦、写真も】
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