
1970年の大阪万博でシンボルとなった「太陽の塔」。デザインした芸術家の岡本太郎さん(1911~96年)は、開幕前年に「兄貴分」のオブジェを制作していました。「若い太陽の塔」と呼ばれ、愛知県犬山市の丘にそびえ立っています。【黒田麻友】
直径4メートルの顔の部分も含めた塔の高さは、本家「太陽の塔」の3分の1程度で26メートルです。動物園に隣接した遊園地「日本モンキーパーク」の敷地にあります。
広報担当の中西夏海さん(39)によると、施設の運営母体だった名古屋鉄道が大阪万博のプレイベントを開くことに伴い、シンボルタワーの制作を岡本さんに依頼したといいます。
69年、太陽の塔にある三つの顔のうち、正面に位置する「太陽の顔」と同じデザインのオブジェ「若い太陽」が完成し、除幕式が開かれました。その後、地元の有志が展望台を設けた棟を建設。これにオブジェが掲げられて「若い太陽の塔」になりました。
国民になじみ深いレガシー(遺産)となった「太陽の塔」と異なり、「若い太陽の塔」は数奇な運命をたどります。プレイベントが終わると、ヒヒを観察できる施設の近くに移されました。
しかし、人工の造形物が動物施設の近くにあることに批判が集まるなどしたため、大阪万博の期間中は倉庫などで保管され、日の目を見ませんでした。その後、75年に現在の場所に移築され、「地元の顔」として地域住民に親しまれました。
ただ、2003年、老朽化が進んだこともあり、周囲の公園部分も含めて立ち入り禁止区域になりました。
それから7年後、遊園地の開園50年に合わせて一時的に公開され、大きな反響を呼びました。常設展示を求める声に応え、本格的に修復。約3000万円の費用の一部は市民の寄付で賄われました。11年からは、再び一般公開されています。
棟の近くには、岡本さんの言葉が刻まれたプレートがあります。
<生命の象徴、金色に輝く顔はおおらかにバイタリティを放射する>
4月、25年大阪・関西万博が開幕しました。半世紀の時を越えて万博のエネルギーを感じ取れる場所として「若い太陽の塔」は今、ひそかに注目されています。